2017-02-10
先日、東京にある有名なアンティークショップに行ってきました。
そこにいくつか金継ぎされた骨董の器が置いてあって、
しかもクオリティーがめちゃくちゃ高い。
割れ方もカッコイイし、金継ぎ技術も高いモノばかりを取り揃えている。
店主の方に聞いたら、やっぱり選びに選んで買っていると。
「割れ方がダサかったらどんなに綺麗に直しても様にならないよね」
って仰るわけです。
「お~、今日は凄いクオリティーのモノを見てしまった。」
と思いながら店を後にしました。
只今、糸井重里さんの対談を読んでいたのですが、
「今日はくたびれたから、あのカフェに行ってお茶飲んで元気になろう…」
というフレーズが引っかかったわけです。
ふと、思い浮かんだのは「そういうカフェは
キンキンにエッジの立っている人たちばかりが集まるカフェではないだろうな」ということ。
先っちょ系の人たちばかりが集まっている場所では、
くたびれた人はゆっくりと気を休めることができないだろうから。
やっぱり、地元のおじさんもいて、
新聞でも読みながら店長としゃべっているくらいの場所ですよね。
きっと。自然と肩の力が抜けるのは。
もちろん元気で威勢のいい人もいていい。
でもちょっと弱っている人とか、元気のない人とか、あまり冴えてない人もいていい。
糸井さんが言っているのはそういうカフェのことかなと思ったんです。
きれいな割れ方の器だけを揃えて、
非の打ちどころのない金継ぎ修理が施された器ばかりが揃う空間。
そこでもし生活をしていたら…どんな心地だろう?
最初はいいかもしれないけど、だんだん僕は疲れてきそうだなと思ったわけです。
シャキっとしたモノがあるとこちらもキリッとする。それもあっていい。
それからちょっと間の抜けたモノと、ややだらしのないモノと、
あとは「ホントこれどうなの?!」ってツッコみたくなるようなモノと。
そんなモノたちが「ま、俺たちゃ器同士だしな。そこそこ仲良くやってるよ」
という具合で並んでいるくらいの方がむしろ居心地がいいのかな、と思うのです。
長い目で見たら。
それって、「共同体」と一緒なんでしょうね。
イケイケの「精鋭」たちや、きっちりキレキレの人ばかりを揃えたチームって
意外と上手く機能しない。
むしろ「足弱な人」がいても、当たり前にその人が自尊心を持って
生活していけるような共同体が一番うまく回っていく。
つまりこんな金継ぎをして、こんなHPをつくっている僕にも
居場所がある空間っていうのを作りたいなと思うわけなんです。