美大の合格基準

 



2017-01-25

「そういえば、美大ってどうやって受験するんですか?試験科目って何??」
そうですよね、多くの方にとっては全くもって未知の世界ですよね。
「やっぱ、あれですか。アート作品を提出したり、試験も”芸術は爆発だ!”ってアートさせちゃう感じですか??」
いえ、全然違います◎
東京藝大の「工芸科」についての話になりますが、試験はほとんど「アート」していません。他の科(デザイン、彫刻、日本画)なども「アート」していません(「油画科」についてだけは知らないのですが)。

それじゃ何を「試験」で計っているのか?と言いますと、一言でいえば「観察する力」を見ています。
「石膏像」を鉛筆デッサンしたり、「花」や「果物」を絵の具で描いたり、「自分の手」や「野菜」を粘土や紙で立体を作ったり。そのような試験課題を出すことで、受験生の観察力を見極めます。
それらは「そっくり」とか、「活き活き」とか、「キレイ」にできた作品が基本的には高得点になります。
受験の段階では「クリエイティブそのもの」ではなく、その一番基礎になる「観察力」を計りつつ、あとは「色のセンス」とか「アイディア」なんかも“トッピング”として勘案する…といった感じです。(←“採点者”でもないくせに、言い切り過ぎかしら? でも、受験生と予備校講師をしていた経験からするとこんな感じです)

なので、試験で出される課題の「鉛筆デッサン」といっても、ピカソのキュビズムみたいな絵を描いたら、絶対に合格できません。ぜったい!(多分…? いや、100%受からないと思います)
「え~何で“芸術大学”なのに“アート”したら受からないわけ?そんなんでいいの??」
そうですね、いいのか悪いのかはわからないのですが、どうして「アート」しちゃったら受からないかというと、“採点者(審査員)”がそれを求めていないからです。(どこの世界も同じなんです)
社会に出れば“採点者(=私たちみんな)”は無数にいて、それぞれの好みは千差万別。なので、いろいろな表現が受け入れられる可能性があります。
だけど、「美大受験」に関しての“採点者”はその大学のセンセイ方となりますので、その「センセイたちの採点基準」に合っていない限り、合格できないわけです。(イナ・バウアーをしても得点に結びつかないのと同じです◎セクシーですけどね)

採点基準があるってことはその基準を満たすための勉強法のセオリーも構築できるわけでして、そうなると「俺って天才!」っていう人じゃなくても(←えてして、こんな人は落ちます(笑))、コツコツと実技の努力ができる人が芸大に受かるものなんです。(2,3年かかる場合もよくありますが)
「基準なんてものがあるとはけしからん!藝術じゃない!」と思う人もいるでしょうけど、「それでは基準を全て壊しましょう!フリーダム!!」と言ったところで、実はそういった時にも結局は新たに誰かしらの「基準」に合わせてしまっているわけですよね。誰かが採点者になるのですから。
それならばその「病識」を持つというか、「どうしたって世の中、基準ってのがあるものよね」と意識しながら、そこを出発点に据えて、そこを超えようとしたり、そこから外れようと考える方が、生産的な態度かなと思うのです。

「基準」=「型」とも言えると思うのですが、「他者の基準」や「伝統の型」に嵌まってみるのってすごくいいことだなと最近、思っています。「それまでの自己」から離脱する契機を与えてくれるものだからです。
私たちは無意識的に社会通念や習慣、固定概念に嵌まってしまっていると思うのです。その「今の私」というフレーム自体に気付くのがまず、難しいですし、気付いたとしてもそこから自力で抜け出すのってメチャクチャ大変だと思います。
ですので、その「今の私」から抜け出す有効な「技法」として、まずは「他者の基準」に敢えてハマってみるのがいいのだと思います。
少しは自分のことが俯瞰して見えるようになるかもしれません◎