❚ 「学ぶ場」ではなく「伝える場」
2017-02-23
只今、「リアル」金継ぎ図書館を計画中。
ついに現実空間に着地したいと思っているのです。
(いや、図書館を立てるわけじゃないですよ!
そんなお金、ないない(笑))
どこか定期的に集える場所を借りようと思っているのです。
当初は「普通の金継ぎ教室」を考えていました。
が、「いやいや、それ違うでしょ」と思ったわけです。
やっぱり「教室」というのが僕のイメージに全く合わなかった。
そうじゃなくて、もっとゆったりとできる場、くつろげる場、
集える場かな…と考えた。
つまり「カフェ」のような場所。
金継ぎも教えつつ、「教室・カフェ」のような場所かな…と考えた。
でも、それでもしっくりこなかった。
近いのだけど、重要な何かが抜け落ちている。
何が抜け落ちているのか…?と考えていたら、
気が付いたのが、「伝える」ということでした。
学校や教室は先生が「伝える人」で、生徒は「伝えられる人」。
その関係性は固定されている。
「生徒」ってエンドユーザーで、「伝え」はそこで流れを止める。
ピタッと。
これじゃ全くもってダメなわけです。
「伝統工芸」にならない。
カフェは人と人が「繋がる場所」になりえるけど、
基本的に「伝える場所」ではない。
「伝統工芸」って「作られたもの」や「伝えられた技術」ではなく、
「技術を“伝えること”」なんです。
その「リンク」「流れ」が伝統なんです。
だから僕が考えている「場所」のイメージは
「伝える」という点に関していうと、
「学校」や「カフェ」より「徒弟制工房」の方がはるかに近い。
親方は弟子に伝える。
弟子たちの間で、「兄」弟子が「弟」弟子に伝える。
「弟」弟子が「そのまた弟」弟子に伝える。
どんどん「伝える」がリンクしていく。
連綿と「伝える」が繋がっていく。
この「伝える繋がり」が伝統工芸なのであります。
えーっと、そうなると、鳩屋がやりたいのは
茶道とか華道みたいな「家元制のお教室」なわけ??
いえ、違います◎
やっぱり「図書館」ということになるのかな…と思います。
(↑ちょっとぶっ飛んでますか?
でも僕は「親方」や「師匠」「家元」ではなく、
図書館の「館長」ですから◎)
先人から贈られた、世界の成り立ちに関するさまざまな
「有用な知が書き記された書物」を取り揃え、
現代の人が利用しやすいように整理し、その「知」が学べる場所。
そして、その「贈り物」をこれからの時代に合わせる形で
整え直したり、少し何かを足して、
次の人たちへとそっと残しておく場所。
それが僕の考える「本当の図書館」です。
先人が残した書物に関しては館長である僕が
ある程度取り揃え、整理してきました。
でも、まだまだ蔵書が少なく、クオリティーも低い。
だからこの図書館はまず、
「後続する世代への贈り物として、
人が生きるのにとって有用な情報を集め、
それを整理し、蔵書を増やしていく。それが私たちの役目だ」
という、誰に頼まれたわけでもないのに、
勝手に「伝え手」「繋ぎ手」としての使命感を
持ってしまった人たちが集える場にする。
その人たちはそこで学ぶと同時に、
学んだものに自分なりの「気づき」や「想い」を書き加えて
「よりよいもの」にしていく。そして次の人たちに贈り続ける。
教えを「消費する人」たちではなく、
教えを「伝える人」たちの集まる場所を作りたいと思います。