初心者でもノミで彫っていくスプーン作りはできるのでしょうか?

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先日、親友の漆芸家&金継ぎ師・宮下智吉さんの作業場をお借りして、スプーン作りの研究会をしてきました。

 

スプーン作りには僕がこれまで「こだわってきたテーマ」がありまして、それが初心者の方々や一般の人にとっても応用が可能かどうかのテストも兼ねた研究会をしました。
(実行可能かどうか?ではなく、どうやれば可能になるか…です)

そのこだわりとは「ノミで叩いて作る」ということなんです。

 

なかなか皆さん、「ノミを叩いたことがある」という体験はないですよね?

小中学校で使う刃物は基本的には「彫刻刀」だと思います。もしかしたら、「工芸」みたいな授業で箱などを作り、その時ほんのちょっとノミを使ったかな?というおぼろげな記憶がある方もいるかもしれません。

けど、そういう体験がある人にしても、ちょこちょこっと穴を開けたくらいで、こう、「がっつり」ノミを叩いてガンガン彫っていった!!ってことは体験したことがないですよね。

 

ノミも彫刻刀も同じ刃物でしょ?木を彫るもんなんだから、大して違いはないでしょー。と思っている方も多いかと思います。

でもそれ、結構、違うんです◎全然違うと言ってもいいくらいです。

何と言ったってノミは「打撃系」なんです!(←格闘技っぽい語り口になっている)全身を使って、その打撃の衝撃を体感しながら彫っていきます。
一方、彫刻刀は彫の表面仕上げに使うものなのです。「彫る」というより、「削る」という感じです。サラサラと。

ノミは「身体」を使ってダイナミックに彫っていく。彫刻刀は「指先」で繊細に削っていく。全く「異質」なわけです。

 

それで、一般の方にもこの「打撃系」のフィジカルな体験をしていただくカリキュラム制作に向けて、そのテストをしてみました。

 

今回の参加メンバーは

(左)プロカメラマン:彩さん、(中)木工家:臼井さん、(右)木工&林業:久恒さん

カメラマンの彩さんは以前、金継ぎワークショップに参加してくれた方です。スプーン作りに興味があるとのことだったので、今回、「素人代表」としてご参加をお願いしました。

臼井さんは今年の3月まで東京藝大の木工の助手さんをしていた「専門家」です。最近、数年ぶりにインスタで連絡を取り合ったのを機にお誘いしました。
大学の2つ下の後輩です。

久恒さんは只今、金継ぎ図書館の「WEB金継ぎ教室」の生徒さんをしてくれています。武蔵美の木工出身で、今、ご実家の林業会社の経営立て直しに尽力されています。

 

↑ 漆芸家&金継ぎ師:宮下さん

学生時代からの親友です。ばりばり、漆塗のスプーンも作って売っています。売れています◎ 本気のプロです。

 

 

今回は「鳩屋」の考える「スプーン作りの手順」を皆さん(専門家と初心者)に体験してもらい、気が付いた点などがあったらアドバイスしてもらおうということで、お願いしました。

 

手順、道具、冶具、説明の仕方、使う木材の種類、などなど逐次、改善していき、近いうちに初めての人向けの「ノミを使ってスプーンを作るワークショップ」を開催したいと考えています。

 

まずは鋸ノコギリで「切り込み」を入れてもらいました。…けど、いきなり失敗!

切り込みが深すぎて、この後、作業しているうちに折れてしまいました(涙)

このあたりの「要注意のポイント」を分かり易くどう説明するか…課題ですね~。

 

初心者の方にとっては「打撃面」が大きい方が使いやすいかな?と考えて、彩さんにはまずは大き目の「ゴムハンマー」を使ってみてもらいました。

けど、意外や、「ちょっと使いづらい」と。

 

で、こちらの「普通の」カナヅチを使ってみてもらいましたら、「こっちの方が使いやすいかも」

意外や、彩さん、「ハンマー慣れ」しているのかも。(どこで訓練したの?)

 

 話は反れますが、木工をやっている人は「金槌かなづち」とか「トンカチ」とは呼びません。「玄翁げんのう」と呼びます。なぜでしょう?ちゃんと調べていないのでわかりません。

ちなみに↑の玄翁のヘッドは「正行まさつら」さんという職人さんが作ったものです。

ん?…職人さん??って、まさか「玄翁職人」っているんですか?

そうです、そうです◎ そんな世界があるのです。マニアックですよね。ちゃんとした道具屋さんに行くと、玄翁の「ヘッド」だけで売っています。1万円とかで。柄はまた別で買って(600円くらいだったかな?)、自分で挿げるのです。「持ち手」は自分の使いやすい形状に加工します。

ヘッドの挿げる「角度」は職種や職人さん個人によって変わります。欄間らんまの彫り師さんなんかはヘッドは角度を付け、柄は短めにしたりします。

 

 

隣で僕も作業をします。僕はピコピコ・ハンマーで(笑)でも意外と使いやすいのです◎(ゴムハンをなめちゃイケない!)

 

 

 

「粗彫り」はノミを叩きます。それで大体のスプーンの形ができたので、今度はもうちょっと繊細な加工をしていきます。

ノミを握って彫っていきます。その「握り方」をアドバイス。

 

↑ちょっと変わった「持ち方」に見えると思います。これは福井県の井波という彫り物の街の職人さんたちの持ち方です。

井波の職人さんたちは朝から晩まで彫っているので、持ち方が独特です。「疲れにくい持ち方」ということです◎

 この持ち方がカッコイイ。と僕は思うわけです。(マニアックですね)

 

けど、やっぱり初めての方にとってはちょっと「違和感」があるようです。

 

臼井さんは黙々と作業。

 

深澤は姑のように逐一指摘し続ける。ちょっと小うるさかったかもしれません。彩さん、済みません~(苦笑)

 

久恒さんはナタで割った木の板から彫っています。けど、この材がやたらと硬かったので苦戦中。

今回はいろいろな材を用意しました。生の桜(伐ったばっかり)、乾燥した桜、漆の木、朴ほおの木、ブナの木、などなど。ナタで割った木と、ハンズで買った四角く製材された木など。

 

臼井先生、静か…。

臼井さんと彩さんがもともと同じ大学出身だということが判明。しかも同じ時期にキャンパスにいた可能性が大。
二人とも普通大学を卒業した後、臼井さんは藝大に、彩さんはカメラマンの道に入られたそうです。

 

今回、僕が用意した「冶具じぐ」だけではイマイチ作業がやりづらいようでした。※ 冶具…作業しやすいよう、補助するために作られた道具

僕の方針としては「なるべく道具、冶具ともに最小限にする」。そして「手順」や「道具の扱い方」「身体の使い方」を改善することで制作をやりやすくする。…と考えています。
けど、あまり無理をし過ぎても初心者の人がうまく作業ができず、嫌になってしまうかもしれませんよね。もう少し、冶具のバリエーションを増やした方がよさそうだね、という話になりました◎

 

ミヤッチ先生がお茶を淹れてくれました。宮下さんは気が利くので、よくお茶が出てきます◎

 

臼井さんと久恒さんがお土産で買ってきてくれたお菓子もいただきました。

さすが、気が利く◎

 

スプーン…スプーンが自分の家で、好きに作れたらいいですよね◎

僕は、「誰でも作れるスプーンの作り方」そのコンテンツ作りに勝手な使命感を持っているのです。

「どうやら日本人は自分でスプーンを作るらしい。それが普通らしい」という、海外から見たら意味のわからない文化が根付いたらいいな~と思っています。必ずいいやり方を見つけます◎(皆さんのお力をお借りして!)

 

彩さん、何とか完成!と言っても、実はすでに2本失敗しています(笑)。 原因は僕の準備不足やナビの仕方がイマイチだったからなのですが。

この一本はあらかじめ、僕が粗削りしておいたものです。それを彩さんにお渡しして、仕上げてもらいました。

 

このあたりのオペレーションをどうするかが結構、課題です。ノミで叩くというのは結構、ダイナミックな作業なので、彫刻刀や小刀でチマチマ削っていくよりかは失敗のリスクがちょっと高くなります。

ワークショップをするなら、「失敗した人用」にあらかじめ何本か粗彫りしたスプーンを用意しておいた方がいいかも…という話になりました。

 

宮下さんは漆の木で彫ってみました。

 

さすが手慣れています◎

 

 

それで、今回は「ノミで叩く」ということにこだわったわけなのですが、(と言うより僕はいつもそこにこだわっているわけですが)それって普通じゃないのですか??と思われますよね。

いやいや、それがそんなことはなく、木工作家のほとんどが「バンドソー」という機械でアウトラインを挽いて成形しています。(それが悪いと言っている訳じゃありません。よ◎)

一般の人相手のワークショップでもバンドソーを使うか、もしくは「糸鋸いとのこ」を使います。(当図書館のスプーン作りコンテンツでも糸鋸を使っています)

 

で、これがいけないのか?というと、いけなくはありません。(木の”繊維”を考えると、本当は、ベストではないと思いますが)作り手さんはなるべく手間をかけずに「量産」しないと商品の値段が跳ね上がりますから、「機械化」はいたしかたないと思いますし、ワークショップ参加者の方にとっては糸鋸は扱いやすいので、これも一つの「解」だと思います。

でも私としましては「素材や道具を相手に”コミュニケーション感度”を上げる」という非日常体験を一般の人にもしてもらえたらと思うわけです。

道具を相手に?素材で?それってどうゆーこと?

普通、現代生活の中では素材や道具というのは「人にとって便利」に加工され、作られているわけです。
ですので、基本的に使い手は「ご主人様」のポジションにいて、道具や素材のご機嫌や体調を伺ったりする必要はありません。「意のままに操る」「自分の考えに沿って指示する」ことになります。

 

 

「コミュニケーション力」とは何か?というと、端的に言えば「言葉だけでなく、
それ以外の様々な情報を感知し、それらを総合して相手の”真意”を読み取る」ということかと思います。

人間相手であれば、”相手の”ちょっとした仕草、声のトーンの変化、前の話からの文脈…などから類推して、今、ここで話されている会話の「真の意味」を探っていきます。

 

 その際に重要になる能力というのが、相手に同化したり、共振したりする能力だと思います。
自分の考え方、感じ方をいったん脇に置いて、相手の立場で、「相手の頭」で考える「相手の感性」で感じる…ってことです。

普通、人がついついやっているのが「もし相手の立場に立ったとしたら”自分ならどう考えるかな?”」って思考方法だと思います。どうしても、そうゆう思考をしてしまいます。だけど、それでは相変わらず「自分の思考癖」で考えていることになります。「立ち位置(場所や状況設定)」だけ移動して、「私の立場」で考えている。これではまったく相手に同化できない。

 

本当にやらなくてはいけないのは、自分の思考のフレームを手放し、そこから離れて、相手のフレームに入り込んでしまって考える…という練習。

 

 

「扱い易い」道具はどうしても「私」を「主」として、その立ち位置を変えないまま、道具を「しもべ」として扱ってしまいます。(特に近代において作られた道具《=主に機械類》はその”思想”に貫かれていると思います)
その関係性のままで制作しても何の支障もない。

もっと言えば、機械を使うと「自然の摂理を無視して」も素材を加工するとこができます。
素材や、道具とコミュニケーションを取らずとも自分の好きな形が作れてしまう。
いつの間にかそれがモノ作りの「当たり前」になっている。

自分の立ち位置を変える必要がないから、「私のイメージ」の延長線上で道具が扱えてしまい、素材も使えてしまう。「私」は「私」のままでいて何の問題もない。

 

これが「ちょっと扱いづらい」「扱ったことのない」道具となると日常の身体の扱い方自体を改変する必要に迫られる。そうしないと上手く道具・材料が扱えない。

その「ちょっと厄介な状況」に身を置き、それまでの「私」をとりあえず「脇に置いて」道具や素材の「道理」に従う立場に、私を位置づける。

これが意外とこれまで味わったことのない考え方、姿勢なのではないでしょうか?でもこれって、工藝の魅力の大部分を占めている気がします◎

 

「私」と「道具」と「素材」との三者の中間あたりに「”私たち”のようなもの」、もしくは「作品のようなもの」を立ち上げていく。そこにはきっと「私」と呼ばれる主体は存在しない。