箆の持ち方・動かし方 Part 01 〈箆の先についた「ネタ」をきれいに切る〉編

テクニック・コツ

 

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〈箆の先についた「ネタ」をきれいに切る〉編です。

錆漆や麦漆、漆の精製のページで「しっかりと練ってください」と書いているのですが、そういえば「箆の扱い方」ってコツを摑むまでうまくいかないものだなぁ―――ということを思い出しました。

ということで遅くなりましたが、「箆の持ち方・動かし方」ページを作ってみることにしました。

 

YouTube に「伏見工房」さんという方の動画がたくさんアップされていると思います。それを見るとすごく勉強になります。というかそっちを見た方が断然、いいと思います。
漆の「塗り」もすごいです。何から何まですごい方です。その師匠の方もスゴイらしいです。その方が漆の神様・松田権六の弟子だったようです。

なので私が「箆の持ち方」を解説するなんて100年早そうですが、それでもお役に立つこともあると思いますので、この「暴挙」にご理解いただけたらと思います。

 

※ 改めて「箆の持ち方」「動かし方」を意識してみると「はて?どうやってたっけな?」「本当にこうやって動かしているっけ?」と戸惑っています。意識せずに自然と動かしていたものを、いざ意識しながら動かしてみるとどうもぎこちない感じがする。
もしかしたら、いつもと違うヘラの動かし方をしているかもしれませんし、本当はフレキシブルにその都度、持ち方・動かし方を変えているいる気もします。砥の粉が硬い状態からだんだん柔らかくなるに従って、すこしずつ持ち方が変化していっているとか。

また気が付いた時に随時、加筆していきたいと思います。
おそらく「錆漆の作り方ページ」などを作った時と同様に、大幅な改訂をすることにもなると思います。

 

 

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箆の先の「ネタ」が…取れません…。うう…。

ということ、ありますよね。どうしても箆からきれいに錆漆が取れない…。
みなさん、お困りじゃないですか?

なぜでしょう???

 

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それはですね…

 

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ヘラの先のネタが取れない皆さんはこのようにヘラを持って動かしているからです。たぶん。

むむ?何がいけないの?

 

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ほら、ネタが取れていません。(何かわざとらしい…)

 

 

では解説いたしましょう。

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先ほどの持ち方では作業板に対してヘラの角度が鈍角になっています。
これではネタが取れないのです。

そこでどうするか?
ヘラの角度を鋭角にすればいいのです◎

 

2つポイントがあります。

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Point 01
ネタを取る時は、ヘラのお尻の部分(手のひらで持っている部分)を離して、
小指や薬指の先に載せます。

 

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Point 02
人差し指で少し強くヘラを下に押えます。

 

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すると↑画像のように作業板に対してヘラの角度が鋭角になります。

↑画像の赤い点が指で押さえている箇所ですが、強くしなる部分はAの点です。
なぜ点Aがしなるかといいますと…

 

箆を削った時に↑画像のように「しなりポイント」を作った(はず)だからです。
ちゃんと作れていなかった方はもう一度トライしてみてくださいね。
▸ 自分で作る金継ぎ用ひのき箆

 

プラスチック箆の場合、おそらく↑画像の①のようにヘラの先に行くに従って、均一に薄くなっていっているのだと思います。
なので指でヘラを押さえた時に「ヘラの先の方がしなる」ことになって、どうもネタが切れづらいのではないかと思います。

慣れてくればプラベラでもうまく扱えるようになりますが、最初のうち、コツを摑むまではむしろ「木の箆」で作業した方が楽だと思います。

 

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↑ほらっ!きれにネタが切れている◎

 

それでは見比べてみましょう。

 

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↑何となくこんなイメージでヘラが使えているとネタが綺麗に切れます。

 

 

 

この箆の持ち方は、箆についているネタを切るときの持ち方です。
いつもは普通に手の平に収めていていいと思います。

 

ちなみに、この扱い方にもうワン・アクションを加えると「ネタを潰す」動作になります。
砥の粉を潰したり、麦漆に木粉を練り込んだりする時に必要な動作です。

それは人差し指でヘラを押さえると同時に(もしくはそのワン・テンポ後に)、小指・薬指に載せている「ヘラのお尻を持ち上げていく」動作です。

小指・薬指が「力点」、人差し指で押している箇所が「支点」、箆の先が「作用点」になります。

 

ちょっとした微細な動作の変更によって道具や素材のリアクションが劇的に変わります。

「道具・素材」と「持ち方・動かし方」とが密接にリンクしています。
これを探っていくのも「工藝」の面白みの一つだと思います。

実は道具と素材自体がすでにその扱い方を指定している…と考えることもできます。そしてその「最適解」を見つけるべく感度のセンサーを上げていく。
私たちはその時、道具や素材の中にいつの間にか入り込んでいってしまう。

おそらく西洋的な「道具の考え方」では、道具は人間にとっていかに便利に使えるか、主従関係でいうところの「主人の言うことなら何でも素直に聞く”しもべ”」の位置にあるのだと思います。

日本の道具の考え方・工藝の考え方は、もっと「イーブン」な捉え方だと思います。
「わたし」も多様なファクターの一つでしかない。

「檜材を使って、このように作られた道具。それを使ってこの素材を扱う場合は…必然的にこの持ち方、この動線、この手順が導き出される。それが要請されていることに気が付く」

それは多分、「理路」としてわかる前にすでに「身体」の方が気が付いているのだと思います。

素材と道具と身体との相互ネットワークの中で立ち上がる必然的な動線に導かれて動作が行えた時、人はすごく気持ちよくリラックスできていると思います。それは「その道を通るのが”自然”」だからだと思います。どこにも無理や力みがないんでしょうね。